2025.1.7

海外渡航目的の年次有給休暇に対する時季変更権の行使を適法とした事例~札幌地裁令和5年12月22日判決(労働判例1311号26頁)~

この記事を執筆した弁護士
弁護士 五十嵐 亮

五十嵐 亮
(いからし りょう)

一新総合法律事務所
理事/弁護士

出身地:新潟県新潟市 
出身大学:同志社大学法科大学院修了
長岡警察署被害者支援連絡協議会会長(令和2年~)、長岡商工会議所経営支援専門員などを歴任しています。
主な取扱分野は企業法務全般(労務・労働・労災事件、契約書関連、クレーム対応、債権回収、問題社員対応など)、交通事故、離婚。 特に労務問題に精通し、数多くの企業でのハラスメント研修講師、また、社会保険労務士を対象とした労務問題解説セミナーの講師を務めた実績があります。
著書に、『労働災害の法律実務(共著)』(ぎょうせい)、『公務員の人員整理問題・阿賀野市分阿賀野市分限免職事件―東京高判平27.11.4』(労働法律旬報No.1889)があります。

事案の概要

当事者

被告(Y社)は、札幌市内でホテルを運営する株式会社である。

原告(X)は、Y社において、平成28年6月から令和2年6月まで宿泊部部長として勤務していたものである。

年次有給休暇の申請(Xによる時季指定権の行使)に至る経緯

令和元年10月、Xは、Y社に対し、令和2年3月21日に開催される娘の結婚式に出席するため、3月18日から3月25日までの期間に年次有給休暇を取得することを報告しており、事前に了承を得ていた。

令和2年2月25日、Xは、Y社に対し、上記の年次有給休暇を取得することを申請した(時季指定権の行使)。

同日、Y社において、社長、総支配人及びX等が出席する新型コロナウイルス対策会議が開催され、不要不急の海外渡航の自粛等についても協議されたが、社長は、Xに対し、Xの娘の結婚式について「話は聞いているので行ってこい」などと述べた。

年次有給休暇の不許可(Y社による時季変更権の行使)に至る経緯

令和2年3月17日午前9時30分頃、Y社社長が、Xに対し「本当に結婚式やるのか。向こうの両親も本当に行くのか。」と尋ねた。

Xが「親族全員で渡航します。」「結婚式以外はホテルでおとなしくしているので、何とか行かせてください。」と懇願したところ、Y社社長は、「少し時間がほしい」と返答した。

同日午前10時頃、Y社社長は、常務等を集め、社長室においてXのハワイへの渡航について協議をし、全員一致で、Xのハワイへの渡航を認めないという決断をした。


その後、同日、10時30分頃、Y社社長は、社長室にXを呼び、「今回のハワイの渡航は認めるわけにはいかない。」と伝え、正式に、Xによる上記期間の年次有給休暇を不許可とした(「本件時季変更権の行使」)。


これにより、Xは、上記結婚式に出席することができなかった。


Xの娘の結婚式は予定通り執り行われ、新郎母及び新婦母は、職場から、帰国後に14日程度の自宅待機を条件にハワイ渡航を許可されていた。

Xによる請求内容

Xは、Y社に対し、娘の結婚式に出席できないという取り返しのつかない事態となったことにより甚大な精神的苦痛を被ったとして、慰謝料300万円の支払いを求めて提訴した。

本件の争点

主な争点は、本件時季変更権の行使の適法性である。

具体的には、①「事業の正常な運営を妨げる場合」(労働基準法39条5項)に該当するか否か、②時季変更権の行使に際して年休の利用目的を考慮してよいかという点である。

裁判所の判断

争点①について

裁判所は、以下の事情を考慮し、「事業の正常な運営を妨げる場合」に当たると判断した。

●令和2年2月28日に北海道知事が独自の緊急事態宣言を発表し、3月11日にWHOが「パンデミック」を表明し、3月13日にはアメリカ大統領が国家非常事態宣言を発表した。

●当時は、人生における重要なイベントであっても自粛することが必要であると社会的に受け止められる状況にあった。

●同年3月のY社の売り上げは、前年比85%減であり危機的状況であった。

●仮にY社従業員が新型コロナウイルスに感染した場合には、多数の者が出入りするホテルを運営するY社の社会的責務として、当該感染の事実、当該従業員の属性、海外渡航歴等を公表して報道されていたと考えられる。

●仮に宿泊部長の立場にあるXが新型コロナウイルスに感染し、ハワイに渡航していた事実が公表されたとしたら、Y社に対する社会的評価が低下し、事業の継続に影響しかねないと考えられる。

争点②について

裁判所は、一般論として「使用者の事業の正常な運営に直接影響を及ぼすこととなるといった特段の事情があるときには、例外的に、使用者において時季変更権の行使に当たり年次有給休暇の利用目的を考慮することも許される」と判断した。


その上で、裁判所は、Xが「利用目的を明示して年次有給休暇の時季指定を行って」いることを指摘しつつ、上記の事情が認められる本件においては、時季変更権を行使するに当たり年休の利用目的を考慮することも許されると判断した。

結論

裁判所は、Xの慰謝料請求を棄却した。

本件のポイント

労働者からの年次有給休暇の申請(時季指定)に対して、使用者が、時季変更権を行使するためには、「事業の正常な運営を妨げる場合」という例外的な事情が必要となります。


また、過去の最高裁判決でも、利用目的を考慮して時季変更権を行使することは許されないものとされてきました。


本判決は、新型コロナウイルスのパンデミックという特異な状況下において、例外的に、本件時季変更権の行使を適法と判断した事例として、今後の非常事態時の運用の参考になると思われます。


<初出:顧問先向け情報紙「コモンズ通心」2024年11月5日号(vol.298)>

※掲載時の法令に基づいており、現在の法律やその後の裁判例などで解釈が異なる可能性があります。

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