2024.4.2
海外での社外研修費用返還請求が認められた事例~東京地裁令和4年4月20日判決(労働判例1295号73頁)~弁護士:薄田真司
事案の概要
当事者
Y社は、建築工事、土木工事、機器装置の設置工事その他建設工事全般に関する企画、測量、設計、施工、管理等を目的とする株式会社である。
Xは、平成21年3月に大学院を修了し、同年4月1日、Y社に総合職として雇用された。
研修制度を定める規程の概要
Y社は、人材育成の観点から、希望する社員を国内外の大学等に一定期間派遣する制度(社外研修制度)を設けており、社外研修規程(以下「規程」) 及び社外研修規程取扱細則( 以下「細則」)に基づいて実施している。
規程10条には「社外研修生は、研修期間中または復職後満5年以内に、就業規則32条2号若しくは4号に該当し退職する場合(※2号は自主退職、4号は休職期間満了による自然退職を規定)、又は諭旨解雇若しくは懲戒解雇に処せられた場合、貸与金を退職日又は解雇日までに全額返済しなければならない。2項 社外研修生が、就業規則32条各号(2号及び4号を除く)に該当し退職する(※定年、死亡、役員就任による退職)又は復職後満5年経過したときは、貸与金の返済義務を免除する。」との定めがあった。
規程別紙の「社外研修に関する誓約書」には「4. 今回の研修にあたり貸与される社外研修費用の返済について、会社から社外研修規程10条及び社外研修規程取扱細則3条に関する説明を受けました。これらの内容についてすべて了解いたします。」との記載があった。
Xの所属するY社A部は、平成28年10月27日付け「A部門海外研修要領」(以下「本件研修要領」)に基づき、海外の研修機関に同部門の職員を派遣することとし、希望者を募った。
本件研修要領では、海外研修制度は、国内では習得できない知識・技術等を習得させ、海外での人材交流等を経験させることにより、将来的に増加すると想定される海外事業において、設計・施工に関して顧客等との交渉ができる人材を育成するために、海外の大学・大学院・企業等の研修機関にA部の職員を派遣するものであり、海外研修先は、原則として、研修生が自らテーマを選定し、自ら研修準備等を進めることが必要となる大学院とし、学位を取得することを目的とすること、海外研修費用のうち、会社負担費用及び会社貸与金はA部が負担すること、海外研修生への給付、海外研修費用の負担等の海外研修における諸条件については、規程ならびに細則に従うこと等が定められていた。
Xの研修実施と研修終了後の退職
Xは、平成29年1月20日、プロジェクトマネジメントを研修テーマとして、社外研修に応募し、社外研修生となることが決定された。
Xは、同月21日、規程別紙の「社外研修に関する誓約書」(以下「本件誓約書」)に署名押印して提出した。
Xは、平成30年6月28日、米国に渡航し、語学学校に通った後、同年9月、米国B大学に入学した。
当初、留学期間は令和元年8月までの予定だったが、予定された期間で修了が困難のため令和2年5月まで留学期間が延長された後、同月24日にXが修士課程を修了し研修が完了した。
Xの復職日は令和2年6月1日とされたが、Xは、同年5月28日、同年6月30日で退職する旨を願い出た。
訴訟の内容
Y社は、Xに対し、本件研修費用としてXに支払った合計952万7533円を消費貸借契約に基づき返還請求した。
本件の争点
本件の争点は、Xに支出された社外研修費用につき、X・Y社間に消費貸借契約が成立したか(争点①)、上記消費貸借契約が労働基準法第16条(損害賠償予定の禁止)に反するか(争点②)である。
裁判所の判断
争点①について
本件誓約書には、規程10条及び細則3条に関する説明をY社から受け、これらの内容をすべて了承した旨が記載されていること、規程10条には、返済義務が生じる場合が特定されていること、貸与金の具体的な内容に不明確な点はないこと等からすると、本件誓約書がXから提出されたことにより、消費貸借契約が成立したと判断した。
争点②について
労働基準法第16条が禁止する損害賠償の予定に該当するか否かは、本件消費貸借契約が労働契約関係の継続を強要するものか否かによって判断すべきとした。
そのうえで、⑴本件研修は、応募や辞退、研修テーマ・研修期間・履修科目の選定がXの意思に委ねられていたこと、⑵本件研修は、汎用性が高い内容を多く含むものであり、X個人の利益に資する程度が大きいこと、⑶貸与金の返済免除に関する基準が不合理とはいえず、返済額が不当に高額であるとまではいえないことからすると、本件消費貸借契約が労働契約関係の継続を強要するものではないと判断した。
本件のポイント
労働基準法第16条が禁止する「損害賠償の予定」とは、「従業員が退職した場合には●●万円を支払う」との約定を合意するものです。
従業員の退職の自由を奪うことから無効となります。
従業員が退職した場合に研修費用の返還義務を定める規定は、一見するとこれに類似しています。
裁判例は、⑴研修への参加が業務命令に基づくものか従業員の任意のものか、⑵研修内容の業務との関連性の程度、⑶返還金額や返還義務免除となる条件等に着目し、労働契約不履行に対する損害賠償の予定なのか、労働契約とは別個独立して従業員に貸し付けられた金員の返還請求なのかを判断しており、本裁判例も同様と思われます。
<初出:顧問先向け情報紙「コモンズ通心」2024年2月5日号(vol.289)>
※掲載時の法令に基づいており、現在の法律やその後の裁判例などで解釈が異なる可能性があります。
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