HIV感染不告知を理由とした採用内定取消しを違法とした事例 ~札幌地裁令和元年9月17日判決~(弁護士:五十嵐亮)
事案の概要
当事者
原告であるXは、被告Y法人が経営する病院に社会福祉士として採用内定を受けた者である。
被告であるY法人は、病院や社会福祉法人を経営する社会福祉法人である。
採用内定取消しに至る経過
ア)
Xは、平成22年6月、Yが経営する病院を受診した際、問診票にHIVに感染している事実を記載した。
イ)
平成29年12月25日、Y法人はXの採用面接を実施した。
その際、Xは持病の有無を問われたが、HIVに感染している事実は告げなかった。
ウ)
Y法人は、Xを平成30年2月1日付けで社会福祉士として採用することを内定し、平成29年12月30日付け採用内定通知書をXに交付した。
エ)
その後、Y法人は、Xの同意を得ずに、上記アに記載の情報を入手したところ、XがHIVに感染している情報が記載されていた。
そのため、Y法人は、Xに対し、平成30年1月12日、持病の有無について電話で質問したが、XはHIVに感染していることを否定する旨の返答をした。
オ)
Xは、平成30年1月24日、Y法人に対し、主治医が作成した診断書を提出した。
同診断書には、病名欄に「HIV感染症」との記載があり、「就労に関しては問題なく、業務上で職場での他社への感染はないことが記載されていた。」
カ)
Y法人は、平成30年2月5日、Xに対し、採用内定取消通知書を送付して内定を取り消すとの意思表示をした(以下「本件内定取消し」という)。
内定取消しの理由は、「面接時に病状に対しての説明がなく、1月12日の質問の際にも正確な回答をしなかったこと」であった。
Xの請求内容
Xは、本件内定取消しは違法であると主張して、Y法人を提訴した。
争点
本件の争点は、以下の2点である。
- ①Xが採用面接の際に持病の有無を問われたにもかかわらず、HIVの感染の事実を告げなかったことは採用内定取消しの理由になるか
- ②採用内定後、Xが、Y法人から持病について質問された際、HIV感染の事実を否定する旨の返答をしたことが採用内定取消しの理由になるか
裁判所の判断
争点①について
裁判所は、以下の事情を総合的に考慮した上で、XにはY法人に対して、HIV感染の事実を告げる義務はなく、面接において持病の有無を問われた際に告げなかったとしても、これをもって内定を取り消すことは許されないと判断した。
- 厚生労働省が取りまとめた「労働者の健康情報の保護に関する検討会」による平成16年9月6日報告書(以下「本件報告書」という)に明言さ れているように、HIVに感染しているという情報は、極めて秘密性が高く、その取扱いには、極めて慎重な配慮が必要である
- 労働基準局及び労働省職業安定局長が定めた平成7年2月20日「職場におけるエイズ問題に関するガイドライン」(以下「本件ガイドライン」という)には、労働者の選考に当たってHIV検査を行わないこととしている
- HIVは、性行為を除く日常生活によっては感染せず(性行為による感染率も1%程度と極めて低いものである)、血液を介しての感染も、HIVが存在する血液や注射器の共用など、極めて例外的な状況でのみ感染が想定されるものである
- 本件ガイドラインでは、HIV感染それ自体によって仕事への適性は損なわれず、HIVそれ自体は解雇の理由とはならない旨明記されており、かかる指針は、業務上血液等に接触する危険性の高い医療機関等の職場においても妥当する
- XのHIVは、抗ウイルス薬によって検出以下となっており、免疫機能にも良好に維持されているため、主治医も就労は問題なく他者への感染の心配もない旨診断している Xの業務は社会福祉士(事務職)であり、通常業務において血液に接触する危険性は乏しいこと
争点②について
裁判所は、HIVにかかる医学的知見や各種ガイドライン等や実際のXの病状を詳細に検討した上で判断を示しています。
このように、実際の採用の現場においても、HIV感染者であるからといって、単に病名のみで採用の是非を判断するのではなく、客観的・専門的な知見に基づいて判断することが重要となります。
なお、本件では、結果的に本件内定取消しは違法と判断されましたが、応募者の勤務内容や症状によっては、異なる判断がなされていた可能性は否定できないところです。
<初出:顧問先向け情報紙「コモンズ通心」2020年6月5日号(vol.245)>
※掲載時の法令に基づいており、現在の法律やその後の裁判例などで解釈が異なる可能性があります。
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